ここまでに魚類の年齢と成長に関する研究について、一連の流れを解説してきました。
今回は仮想シナリオをもとに、実際の年齢査定のシミュレーションをしていきましょう。
ぜひ、あなたが若き研究者のホープにでもなったと思い込んで読み進めてみてください。
まずはシナリオの前提条件を定義してゆきます。
さっき適当に考えましたが、架空の魚「Darkspotted trout(ダークスポッテッド・トラウト)」という何だか厨二病感あふれる名称の魚類について、年齢査定をおこなうと仮定します。
この魚は日本の亜寒帯の河川に生息する架空のサケ科魚類で、上流域から河口域までの河川全域を生息場所として利用しています。
また、生活史の中で採餌と成長のために降海する習性があり、河口域周辺の沿岸部からは離れずに過ごし、産卵は河川上流部でおこなう遡河性回遊魚です。
季節ごとの移動性はこれまでの研究で明らかにされ、どの時期にどこを探せば魚が獲れるのかは事前に把握できています。
その生態として稚魚期には水生昆虫を主食とするものの、成長にともなって魚食性が強くなり、これまでに体長90センチを超える大型個体も複数報告されています。
繁殖期は主に4月から5月にかけての春季であり、雄は体長約30センチ、雌は約60センチで成熟するというデータもこれまでの調査によって得られています。
生息場所が河川全域にわたっており、季節ごとの移動性もみられるため、1年間を通して必要な標本を集めるには、適切な漁獲場所を選ぶ必要があります。
苦労して河川全域と沿岸域でサンプリングをおこなった結果、あなたはその年に生まれたと思われる小型個体から、体長80センチ以上の大型個体までを含めた、雄164個体・雌207個体の計371個体を集めることができました。
成長解析に用いる体サイズは、硬骨魚類では標準的なものである「体長」を採用することにし、すべての個体の体長を計測して記録しました。
それでは上記の条件をもとに、擬似データを用いてダークスポッテッド・トラウトの年齢査定を始めましょう。
①年齢形質の選定
ダークスポッテッド・トラウトの年齢と成長は、これまでにまだ誰も調べていません。
先行研究がないため、まずは個体の成長履歴として年輪が形成されている年齢形質を見つける必要があります。
そこで、あなたは年齢形質となる可能性がある硬組織の候補として、鱗・耳石・脊椎骨椎体の3つを選定し、輪紋が形成されているのかを観察することとします。
その結果、鱗は輪紋が不明瞭であり、耳石は魚体に対して著しく小さいため、どちらも年齢形質としては適さないことが判明しました。
一方で、脊椎骨椎体には明瞭な輪紋が認められ、読み取りができそうです。
よって、今回は年齢形質として脊椎骨椎体を採用しましょう。
②体長と年齢形質の相関関係
輪紋の刻まれた硬組織を見つけても、直ちにそれを年齢形質を断定することは尚早です。
年齢形質として採用するには、脊椎骨椎体が体長に対して正の相関関係を示すことを証明しなければならないのです。
ざっくりいうと、体長が大きくなるにしたがって、椎体も大きくなっていることを確かめる必要があるということです。
逆に魚体が成長してゆくのに対して、年齢形質となる組織が縮んでしまっているのでは年齢査定ができません。
これを確かめるのは簡単で、グラフの縦軸に体長、横軸に脊椎骨椎体の半径をとり、各個体のデータをプロットして回帰式を求めれば確認できます。
回帰式は省きますが、今回の場合は体長と脊椎骨の椎体半径は雌雄ともに高い相関関係が認められました。
③脊椎骨椎体の切片作製と観察
脊椎骨椎体は、不要な周辺組織を取り除いたうえで、紙ヤスリと研磨用サンドペーパーで表面を処理をして、中心部を通る横断面の薄切切片標本を作製し、顕微鏡下で観察をします。
また、小型個体の椎体は非常に小さいため、こちらはアクリル樹脂に包埋してから切片を作製することとしました。
顕微鏡で椎体の薄切切片標本を観察をしてみると、成長の早い時期にできる幅の広い不透明帯と、成長の遅い時期にできる幅の狭い透明帯が交互に出現し、輪紋が形成されていることがはっきりと見て取れます。
これで何とか年齢査定ができそうです。
さあ、次は年輪形成時期を推定し、輪紋が年輪であることを確認しましょう。
④年輪形成時期の推定
あなたはより正確を期すため、年輪形成時期の推定には縁辺成長率と透明帯の出現頻度の両方について調べることにしました。
まず244個体のサンプルを用いて縁辺成長率の平均値を算出したところ、7月から3月までは徐々に上昇し、4月に最大となったのち、5月から6月にかけて大きく低下していました。
続いて脊椎骨椎体の外縁部が透明帯であった個体の出現頻度をみていきます。
今回は脊椎骨椎体の外縁部が透明帯であった個体、外縁部が幅の狭い不透明帯であった個体、幅の広い不透明帯であった個体の3つのグレードに分類しました。
Grade1:脊椎骨椎体の外縁部が透明帯
Grade2:脊椎骨椎体の外縁部が幅の狭い不透明帯
Grade3:脊椎骨椎体の外縁部が幅の広い不透明帯
脊椎骨椎体の外縁部が透明帯であった個体は3月から6月にかけて出現し、4月をピークに徐々に減少しており、7月には全く出現していません。
また7月から2月の間は、全ての個体で脊椎骨椎体の外縁部が不透明帯となっています。
これらの結果から縁辺成長率の変化と透明帯の出現には周期性があり、「輪紋は春季の3月から6月に1輪形成される」と推定することができました。
さらに、6月以降に漁獲されたその年の春に生まれたと考えられる複数の稚魚の椎体には、なんと既に年輪が1本形成されていることが判明しました。
したがって1本目の年輪は孵化後まもなく形成すると思われ、ダークスポッテッド・トラウトの年齢は年輪数n-1歳ということになります。
無事に年輪の形成時期が推定できたため、あなたは各個体の推定年齢と実測した体長のデータを照会し、各年齢における体長の平均値を求めることができました。
観察の結果、ダークスポッテッド・トラウトの最高年齢は雄が8歳、雌が19歳と雌雄で2倍以上もの差があり、非常に興味深い結果が出ています。
しかしほっとしたのも束の間、次は成長解析をおこなわなければなりません。
⑤成長曲線の推定
ひとつ前の手順で得られた推定年齢ごとの体長のデータを活用して、von Bertalanffyの成長式と成長曲線を求めてみましょう。
成長曲線をグラフで表してみると、このような感じになります。
雄と雌の成長曲線を比較してみると、雌雄間で成長に差があることがわかりました。
成長式によると、雌のほうが雄よりも大きく成長することが明らかになりました。
そして雌雄の成長は2歳頃まではあまり変わらず、3歳頃から成長差が生じるようです。
また、推定された理論上の最大体長は雄で510.3mm、雌で965.5mmでした。
雌は雄の倍近く大きく成長する可能性が示唆されています。
⑥データを考察する
考察は研究においてもっとも重要な部分であり、自分のオリジナリティを出せる場面でもあります。
せっかくですから、楽しみながら考察をしてみましょう。
最初に、von Bertalanffyの成長式から得られたダークスポッテッド・トラウトのパラメータについて検討してみます。
雄の理論上の最大体長L∞は510.3mmでした。
この推定が正しいとすれば、60センチ以上の個体はすべて雌ということになるのではないでしょうか。
また、シナリオの前提にもあった過去に報告されている90センチ以上の個体というのも、おそらく雌ということが推測されます。
さらに、この記録は雌の理論上の最大体長L∞であった965.5mmとも近い数値です。
つまり、この魚の雄は雌よりも成長が早く体長と寿命が雌の半分程度に止まるのに対して、雌は成長が遅い代わりに体長と寿命が雄の約2倍あるということです。
(本当は寿命を推定する式もあるのですが、ここでは省略します)
雌雄で異なる成長様式を示すというのは面白いですね。
この雌の成長が雄に比較して良いという結果は、他の多くの魚類と共通していることです。
生活史戦略の観点から、生態学的研究もしてみる価値もあるかもしれません。
また雌の成長が遅く寿命が長いという特性は、仮に漁業や遊漁などでまだ若い時期に捕獲されてしまうと、産卵のできる親魚が減ってしまい、個体群の維持に悪影響を及ぼしてします可能性が考えられます。
近年のロックフィッシュブームによる根魚の減少が良い例でしょう。
一般的に生物は寿命が長く、成長速度がゆっくりで成熟年齢が高い種類ほど、個体数の減少により繁殖に大きなダメージを受けやすいためです。
ただし、今回あなたが得ることができたデータだけではこれを結論づけるには不足していますので、今後さらに成熟データなどと照合しての検討が必要になります。
年齢と成熟の関係についても考えてみます。
本シナリオの前提条件の定義を思い出していただきたいのですが、この魚は体長約30センチ、雌は約60センチで成熟することがわかっています。
これを成長曲線と照らし合わせてみると、雄は2歳から3歳、雌は5歳から9歳くらいで成熟するのではないかと思われます。
より正確な成熟年齢に関しては、成熟のデータから年齢別の成熟割合を算出し、それに曲線をあてはめることで、成熟曲線というものを求めることができます。
さらに、全体の50%の個体が成熟する50%成熟年齢という理論上の年齢も推定することができ、これは資源管理においても参考にされる指標のひとつです。
最後に、似たような魚種の成長と比較してみるのも非常に重要なことです。
まずは、同じ日本産のサケ科魚類と比較してみます。
例えば、北海道の河川に生息するブラウントラウトを調べた研究では、確認された最高年齢の個体は7歳です。
同じく北海道某河川のサクラマスでは、3歳から4歳の個体が中心であるといいます。
北海道沿岸のシロザケでも、近年の最高年齢は5歳前後のようでした。
日本でもっとも大きく成長するサケ科魚類はイトウですが、本種は絶滅危惧種のため、個体の殺傷を伴ううえ、多数のサンプルが必要な年齢と成長について、現在までに明確なデータは提示されていないようです。
不確かなものではありますが、海外のデータベースをみると16歳と推定された個体がいたそうです。
一方で、アメリカの湖に生息するレイクトラウトは平均年齢が21歳から27歳という報告もあります。
これらのことから、ダークスポッテッド・トラウトはサケ科魚類のなかでもかなり長生きであり、イトウやレイクトラウトに次いで寿命が長く、大きく成長すると考えられます。
いかがでしたでしょうか。
年齢と成長を調べるだけでも、魚類についてこれだけのことがわかるのです。
しかも、これは神秘のベールに包まれた魚類の生活史のほんの一部分でしかありません。
年齢と成長のほかにも、食性、回遊、繁殖生態など、未だ明らかになっていないテーマは魚種を問わずたくさんあります。
理系学部では大学の卒業研究、でも1年間しっかりと取り組めば学会発表できるレベルの研究が完成することは珍しくありません。
魚類に限らず自然や生物の研究というのはそれくらいまだ知られていないことが多く存在し、奥が深くとても興味深いものなのです。
※ダークスポッテッド・トラウトは本記事内で設けた架空の魚類であり、本文中で使用している数値は擬似データであることを改めて附記しておきます。
あとがき
この記事を書きながら、学生時代のことを少し思い出していました。
私の学生時代は、お世辞にも褒められたものではなく、何の成果も実績も残すことができませんでしたが、たとえ結末は悲惨なものであっても、20代のうちにやりたいことに取り組むことができたのは、とても恵まれていたのだと思います。
本記事を執筆するに至った発端は、学生時代の自分へ向けた自己満足や自慰的な鎮魂歌のようなものでしたが、それがどのような形であれ、どこかの誰かが自然や生き物への興味関心につながるきっかけとなるようなことがあれば、これほど嬉しいことはありません。
望外の喜びであり、恐悦至極です。
普段から釣りをしていても、なかなか思い至らないことがあります。
そんなときに、魚類に関する新しい知見に触れてみるのは、良い刺激や契機となるのではないでしょうか。
当たり前のことですが、魚がいなければ釣りはできません。
私は釣りの対象としてだけでなく、生き物としても、食料すなわち生物資源としても、魚が好きです。
しかし、我が国に限らず世界中で魚類の生息環境は年々悪化し、漁獲や気候変動など多くの要因もマイナスに作用しているのだと思います。
個体数自体の減少だけでなく、環境収容力の低下や摂餌量の限定により昔ほど大きくなれないとみられる例もあり、そのなかには釣り人が原因で数を減らしてしまったものもいることでしょう。
あなたが北海道で大きなイトウや艶麗なアメマスを釣ったとき、その魚がこれまで生き抜いてきた時間と世代を越えて紡がれてきた命の営みに思いを馳せ、どうか大切に扱ってあげてください。
いつまでも美味しい魚が食べられ、末永く釣りを楽しむことができる国であることを願って。
2021/10/21