釣り人の趣味、萬物蒐集の理。

釣りをされる方のなかには、気がつくと部屋の中が魚を表したものであふれている、という経験があるかもしれません。

釣師というのは不思議な生き物で、ガラス、陶器、金属、木彫、樹脂、布地、その他ありとあらゆる材質で、魚を表徴したものなら片っ端から蒐集するという習性があるのではないでしょうか。

そんなサカナ愛あふれる行動のいくつかを例として、私の周囲の人と私自身について考察してみました。

部屋の中には、剥製から調度品まで・・・。

まず、日々の生活の中で使用する日用品の類から見てみましょう。

例をあげるならば、食器、クロス、衣類などに、魚の柄やモチーフが採用されたものは数多くあるはずです。

また、釣りが趣味というと、他人からは何かと贈り物に魚柄のものを選ばれる傾向がありますので、持ち物が魚柄だらけ、という場合もあるかもしれません。

私の釣りの師匠であるFさん宅は、大変趣味の良い素敵なお宅なのですが、食器棚の中や装飾品、書籍、調度品、美術工芸品から剥製に至るまで、あらゆるところが魚で埋め尽くされています。

Soleを彩るのは、Cod,Flatfish,Sardine,Rockfish,Seahorseなど…

さながら茅ケ崎にある旧開高邸の書斎にいるようで、私のような持たざる者にはとても魅力的なのですが、バルコニーの片隅にも観葉植物の陰にオオクチバスのオブジェが据わり、愛用のホープをストックする木箱はブルックトラウトが描かれたもの使うという徹底ぶりです。

極めつけはクローゼットの中で、ひとたび扉を開けば、そこには釣りをする人だけが理解を示す、Fさんの創りあげた帝国が広がっているのです。

なお、お手洗いだけは若干嗜好が異なるようで、古今の愛犬たちの写真が多く飾られているのが個人的には興味深い。

 

魚を象った美術品や工芸品の類は、古今東西に多くの例をみることができます。

これらは一般の人にも価値が認められているのですから、それはすなわち魚類が創作や造形の意匠として、多くの人々を魅了してきた証左ともいえるのでしょう。

私も北の大地の民芸品店で売られている魚の木彫りがとても気に入っているのですが、いくぶん高価なものであるので、部屋に僅かに飾っている程度です。

過去の栄光を誇る。

これは、私の親世代の人にとっては剥製が最たる例でしょう。

40ポンド超のキングサーモンや、ランカークラスのシーバス・ブラックバスの剥製が釣り好きのお金持ちの家に飾られている、という想像は、ひと昔前ならわりと容易にできたのではないでしょうか。

一方で、近年ではゲームフィッシングにおけるキャッチアンドリリースが定着しつつあるため、私のような平成生まれの世代では、釣った魚を剥製にしようとする人は少ないのかもしれません。

最近では、食べる目的以外の魚は写真を撮って逃がされていることが多いかと思います。

 

これは、以前ほど魚の剥製を見かけなくなったことや、剥製業者の減少と製作費の高騰、そして剥製自体が高価なこともあり美術品や博物館資料といったものとして、価値観が移ろいつつあるからでしょうか。

また、野生の生き物を殺すこと自体が悪と捉えらえかねない時代です。

そのかわりに、最近では樹脂や木材を使用した精巧なフィッシュカービングというものが一般的となっていますね。

さらに、撮影機材や技術の向上も大きく影響しているはずです。

昔の釣りの写真というと、私にはベストやウェーダーを着たおじさんが、地べたに獲物を並べて自慢げにしているというイメージが強くあります。

魚の写し方も確立されておらず、なんだか実際よりもしょぼく見えてしまっている印象が拭い切れません。

これは先日、実家で古い写真を整理して父の釣果を見つけた際に確信しました。

アラスカでキングサーモンを釣った若かりし頃の私の父は、河原の地面にきちんと三匹並べて、写真の中で佇んでいましたから。

自分とそっくりな、嬉しいんだか嬉しくないんだか、よくわからない表情を浮かべて。

しかし、現在のアウトドアウェアはデザインも比較的おしゃれなものが多いですし、カメラの性能や画素といった技術的問題のみならず、釣った魚を大きく見せるような画角や遠近法の活用まで広く認知されるようになっています。

自宅に帰ってから、撮影した画像をPCで編集することも容易いでしょう。

逆に撮影技術に偏重するあまり、明らかに「盛り過ぎている」感のある胡散臭い写真が、釣り雑誌やSNSに氾濫しているのが現状なのだと思います。

 

我々の世代では、釣った魚を画像で残す場合が多いと言えそうです。

デジタルカメラによる撮影ではなく、スマートフォンで撮影し、プリントすらしないという人も多いでしょう。

部屋に飾るのではなく、SNSに投稿することで他人から賞賛を得ることに価値を見出しているのです。

私の大学時代の友人で、釣り好きの猛者がおりますが、彼もスマホカメラを愛用しているようです。

このように、トロフィーフィッシュは手のひらの中のスマホに残す、というのがデジタル世代の栄光の形なのかもしれないですね。

かくいう私は、プリントしてもらった画像をわざわざ額装して、部屋に飾っている少数派の一人です。

釣具蒐集。

いつ使うのかも分からないような釣り道具を無意識に集めてしまうのも、釣り人によくある悪習といえます。

私も以前には、あれもこれもと多様な釣りのタックルを中途半端に買い集めてしまっていたのですが、必要最低限の道具を残してすべて売り払ってしまいました。

 

一方で最近はというと、釣りに行けない鬱憤を晴らすべく、もっぱらラパラの中古ミノーの蒐集に精を出しています。

特にバルサ製のクラシカルなデザインのラパラは、シンプルな造形にデフォルメされたような目玉のペイントが愛らしく、現代ルアーにはない魅力があるようで、すっかり気に入ってしまいました。

中古釣具店のルアーは思ったよりも商品の入れ替わりが激しいようで、月に一度覗いてみると意外と収穫があるものです。

おまけにその実力は世界中で折り紙付きというのですから、文句の付けようもありません。

まあ、実際に釣りに使っていれば、の話ではありますが。

 

もっとも、これらのルアーは再び釣りに行くようにになれば、いずれ使う機会があるはずなので、考え方によっては有意義な行動であると思うことにします。

安く売られている状態の良いルアーをせっせと買い集めては、自分のルアー・フリートを増強し、今にこれで魚を釣ってやるんだと心に誓うことで、それが日々を生きる糧となっているのですから。