魚類の学名とその他の名称

すべての魚類には種ごとにそれぞれ固有の名称がつけられています。

しかし、その名称にはいくつもの種類があることはご存知でしょうか。

日本で使用される主な生物の名称については、標準和名・英名・学名・地方名・市場名・流通名など、ざっと例をあげただけでもこれだけあります。

まずはトラウトフィッシングでもっともポピュラーな魚種のひとつである、ニジマスを例に考えてみましょう。

 

我が国でもっとも一般的なのは、「標準和名」である「ニジマス」という名で、これは日本におけるその種の正式名称です。

これに対して、文字通り英語圏での呼び名である「英名」の「rainbow trout」を好んで使う釣り人もいるようです。

しかし、海外では「ニジマス」といっても全く通じないでしょうし、英語圏以外では「rainbow trout」も理解されないかもしれません。

このように各国がそれぞれ独自に好き勝手な名称を用いてしまっては、その生物の研究や知見の蓄積に支障をきたしてしまいますよね。

そこで登場するのが、学術界における世界共通の名称である「学名(scientific name)」です。

ニジマスの場合にはOncorhynchus mykissという学名がつけられています。

魚類は「国際動物命名規約」というものにしたがって学名がつけられますが、植物・細菌類にもそれぞれ独立した命名規約があり、細かい部分ではかなりの相違があるようです。

学名はラテン語で書かれます。

なぜラテン語なのかというと、生物の分類学が発展した中世以降、ヨーロッパで伝統的に学術用語として広く用いられていたのがラテン語であるためです。

さらに、ラテン語が古代ローマの言語であり、現在ではどの国でも公用語とされていないことから、国際的な公平性を期すことができるためであるともいわれています。

ただしラテン語以外の言語であっても、発音をラテン語のアルファベットで表せばラテン語化されたものとみなされ、学名とすることができます。

例えば学名に「日本」とつけたいとすると、ラテン語の発音のアルファベット表記である「nippon」とすればよいというわけです。

そして学術論文では書かれる言語を問わず、生物名を表すときには必ず「学名」が用いられます。

生物の学名は、化学における元素記号に近い存在といえるでしょう。

 

現在使用されている学名は「二命式命名法」と呼ばれるもので、分類学の父といわれるスウェーデンの生物学者カール・フォン・リンネによって提唱されました。

二命式命名法による種の表記は属名(generic name)と種小名(specific name)からなり、この二つが揃ってはじめて学名の構成要件が満たされて正式な種名(species name)として扱われます。

ここでは便宜的に学名=種名と考えておいてください。

ニジマスの学名はOncorhynchus mykissなので、「Oncorhynchus」が属名で「mykiss」が種小名になります。

Oncorhynchus属のmykissという種」という意味です。

 

界門綱目科属種

 

高校生物でこのような生物の階層分類を学習された方もいるかもしれません。

学名はこの階層分類の下位二つを表しているのです。

Oncorhynchus属(サケ属)は日本に生息する多くのサケ科魚類が属しており、同じ属の生物はすべて同じ属名をもつことになるため、シロザケにはOncorhynchus keta、サクラマスはOncorhynchus masouという学名が付けられています。

それにしても、三百年以上も昔に地球上のすべての生物に、たった二つの語の組み合わせだけで固有の名前をつけられる仕組みを体系化したリンネの叡智には驚かされますね。

 

ちなみに、新種の場合にはもちろん最初は魚名がありません。

しかし、学名を提唱するには詳細な分類学的検討をおこなったうえで論文にまとめ、国際的にある程度権威のある学術雑誌に査読を受けて投稿する必要があります。

これはなかなかハードルが高く時間がかかるものであるため、「吾輩は魚である。学名はまだない。」という魚が案外日本にも何種類もいたりします。

次に魚を釣ったときには、「君の学名は?」と気にしてみてください。

ただし、いくら世界共通の呼称とはいえ学術界に限られた話であり、日本語を母国語とする我々には扱いづらいことこのうえありません。

また、同じ種であっても日本も広いので、地方によって文化的背景などにより呼び名が異なることがあります。

これが「地方名」であり、ある地方だけで呼ばれている標準和名以外の和名です。

ニジマスの地方名というのは私は聞いたことがありませんが、例えばヒメマスは北海道では「チップ」という呼び名があります。

 

そこで国内の和名を統一しつつ、学名に対応する日本語の名前としてつくられたのが標準和名というわけです。

日本魚類学会の標準和名検討委員会によれば、「日本において学名の代わりに用いられる生物の名称であり、発音がしやすいこと、意味を容易に理解できること、記憶しやすいことなど、一般的になじみがない学名の短所を補う便利なものとして、対象とする生物やその関連分野の研究の進歩や普及、教育に大きく貢献してきた」とされています。

もしも標準和名がつくられなかったら、今頃は「今度の休みはオンコリンカス・ミキスを釣りに行くんだ」「オンコリンカス・ミキスの刺身ください」などという会話があったかもしれません。

釣りや食文化における風情・風流といったものが一気に失せるので、あまり想像したくはないですね。

 

一方で、「市場名」や「流通名」は魚を商品として売るうえで利用されている名称です。

魚に興味のない人たちには意外と知られていないのですが、品種改良したニジマスを海面養殖したものが「トラウトサーモン」や「サーモントラウト」と称して販売されているのがこのケースに該当します。

トラウトサーモンはスーパーの鮮魚コーナーで見かけないことがないほど広く流通していますね。

ですが、この魚は生物学的には紛れもなくニジマスなのです。

おそらく、「ニジマスとして売るよりも、サーモンという単語が入っている方が鮭っぽくて高級感もあるし、それに美味しそうだろう」という水産会社の思惑からつけられたのではないかと思います。

同じような理由でナイルパーチが「カワスズキ」にされたり、キャットフィッシュが「カワフグ」、ティラピアが「イズミダイ」と称して加工品で売られていることもあります。

買ったあとで裏の商品ラベルを見てその正体に気づいたとき、騙されたような気分になった経験があるのは、きっと私だけではありますまい。