アームチェア・フィッシャーからの脱却。

僕が勤め先の業績不振により釣りに行けなくなってから、早くも三年目を迎えた今年の四月。

また今年も、春の朱鞠内にイトウを釣りに行くことは叶わないのかもしれない。

でも、我慢はいい加減もう限界だ。

そんな悶々とした日々が長く続いていた。

なかでも今春に北海道へ遠征するためのなけなしの資金を、両下顎骨性完全埋伏智歯の全身麻酔手術で吹き飛ばしたのは大きな痛手であった。

おまけに「ユーラシアの背骨」という名を冠したこのウェブサイトは、一応は釣りを主題とした釣りブログを謳っているにも関わらず、執筆者が二年間で一度も釣りに行けないまま、その間に49記事もの戯れ文を、さながら産業排水の如くインターネットの海へ垂れ流してしまったのだった。

 

しかしながら、記念すべき50回目の執筆を、再び釣りへ出掛けた後におこなうことができたのは感無量である。

この度、三年ぶりのイトウ釣りのため朱鞠内湖へ遠征することができた歓びをここに記したい。

 

五月上旬とはいえ、春真っ盛りである北国の大地に降り立ったときには、再びこの地に戻って来られた実感を噛み締めて、思わず浮き足立ってしまったものだ。

思い返すと、東京よりも気温が高くなる快晴ベタ凪の日があったかと思えば、10メートルを超える風が吹き荒び、ジェットコースターのように波に揉まれる渡船で身を縮めながら帰途についた波瀾万丈の一日もあった。

さらに今年の朱鞠内は雪が既に溶け切っているにも関わらず、水位が例年よりも大幅に低いうえ、場所によっては水の状態がかなり悪かった。

このように全体的に決して良好とは言えないコンディションのなかで、まだ婚姻色を残した一匹の見事な体躯のイトウと巡り合うことができて、僕は本当に幸運だったのだと思う。

奇しくもこのイトウは僕が今までに釣ったなかで二番目に大きな個体であり、とても感慨深いメモリアルフィッシュとなったのだった。

 

そして、釣りの師匠であるFさんを中心とした同盟の面々が、入れ替わりで朱鞠内に勢揃いしたことで、共に釣りすることができたのは望外の喜びだ。

道内在住の諸兄には久しくお会いできていなかったうえ、釣りから帰って夕食を囲みつつ、愉快に語らうのが我々の楽しみの真髄なのである。

Fさん、イトウ釣りの名手Mさん、紋別の千里眼N氏、元・ウグイキラーMOさん、釣れない才能人イペサク氏といった諸氏がレークハウスで一同に会した光景は壮観であったし、おそらく今後も滅多にないであろう。

いつの間にかこれだけの輪を創りあげてしまったFさんには、本当に敬服する。

釣りを中心に人の輪が広がり、そして人が集う。

大きな魚が釣れたら一緒に喜んでくれたり、バラしたことを笑って揶揄ったり、悔しがったりしてくれる人がいる。

そして、晩餐を囲んでその日一日の釣りを振り返り、こんなふうに再会を祝して乾杯をしながら、積もる話に花を咲かせているのだ。

過去に釣りを愛した作家たちは、釣りというのは孤独なものだという。

しかし、僕にとっては釣りというのは、魚を釣ることだけに終始する行為ではないのだと思う。

一度釣りに出れば各々が好きなように釣りを始めるし、実際に魚と対峙するのは自分一人であったとしても、喜びを噛み締める瞬間や余韻に浸るひと時には、誰かがいることでその悦びがより一層大きくなるという事実を、これほど強く実感させられたことはない。

 

Shumarinai/2022 spring

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Parahucho perryi *1  81cm

Oncorhynchus masou masou *3  41cm 他

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