釣りに重要なのは技術かそれとも運か。
一般に初心者が持っているとされる幸運を「ビギナーズラック」と呼びます。
これは釣りの世界でも頻繁に起こり得ることです。
また初心者だけでなく、初めて挑戦する分野の釣りでも当てはまることだと思います。
私の好きな作家である大崎善生のエッセイ集『傘の自由化は可能か』には、三十年ぶりに船釣りをして、アジの仕掛けで大きなハナダイを釣ってしまった話が書かれています。
釣り好きで有名であった開高健も餌釣りで名人の指南もあったとはいえ、初めてのイトウ釣りで七十五センチを釣り上げたそうです。
私も昨年の冬に初めてカワハギの船釣りに挑戦したのですが、居並ぶ名人を差し置いて最初に釣れたのが私だったうえ、カワハギの仕掛けで四十五センチのヨコスジフエダイが釣れてしまった経験がありました。
柔らかい竿が大きく曲がり強烈に引き込まれ、とても興奮したのを憶えています。
ではなぜ初心者が幸運を掴みやすいのかを考えてみると、いくつかの理由が思い当ります。
まず不慣れであるが故に妙な癖や先入観が身についておらず、それでいて仕掛けやルアーの誘いなどが不安定であり、イレギュラーな要素が加わりやすいところに、魚が魅力を感じて喰いつくのかもしれません。
長く生き残っている大きな魚ほど、仕掛けやルアーを見切りやすいと言われますから。
一方で誰かから助言を得られれば、言われたことを素直に聞き入れられるという一面を持ち合わせているのも特徴です。
さらに下手に殺気立っていなかったり、過去の経験から早々に見切りをつけたりしないぶん、初心者のほうが釣れる可能性もあります。
他の釣り人が諦めている中でひとり黙々と根気強くルアーを投げ続けている初心者の方が成果を得ている姿は、実際に何度か目にしました。
きっとそれらが総合して、大きな魚が釣れることにつながることもあるのでしょう。
次に満足のいく釣果を得るうえで重要な基準となるものに、魚の大きさと数があげられます。
このうち数については釣り人の技術に頼るところが大きいでしょう。
特に厳しい状況の中で貴重な一匹を獲ることができるか、それともボウズの憂き目を見るのかは、技術と直結してくる部分であると思います。
一方で魚の大きさに関してはどうでしょうか。
管理釣り場のように多数の魚が見えていて、その中から狙った魚を釣ることができる場合もあります。しかし、野生の魚を釣るのであれば、いくら針やルアーの大きさを変えたとしても、思い通りにはならないことがほとんどです。
釣れる魚の種類や大きさを釣り人が選ぶことはできないのですから、かかった魚が大きいか小さいかを決めるのは釣り方でもないし、釣り人の技術でもないというになるでしょう。
こればかりは運次第と言っても過言ではありません。
結局、大きな魚が一匹目で釣れるのか百匹目まで釣れないのか。「神のサイコロ」を上手く引き当てられたのが、ビギナーズラックというものなのかもしれません。
では、初心者以外の釣り人が大きな魚を釣ることはどうなのでしょう。
極端な私観ではありますが、最後はその人の持っている運が大事だと思います。
私はキャストが下手なので、普段は障害物が少なく開けた釣りやすいポイントばかり選んでしまいます。
その代わりに、魚が居そうな場所を見つける勘は多少なりともあるかもしれないと自負してはいるのですが、それでもほとんど運だけで釣りをしているのが実情でしょう。
しかし、それでも釣りを始めてから数年で数十匹のイトウを釣ることができましたし、「神のサイコロ」を引き当て、人生三匹目にして九十七センチのイトウと邂逅することもできました。
私の釣りの師匠も過去に切株に座りながら大雑把にルアーを投げて、見事なイトウを釣ってしまったくらいですから。
大きな魚を釣るためのコツというものがもしあるとすれば、数をたくさん釣ることになります。
しかし、それは単純に確率の問題であり秘訣でも何でもないのです。
以上のことから、私は「釣りは運のゲームである」と考えています。
何事も技術を軽視するのは論外ですし、必要最低限のものは身につけなければならないでしょう。しかし逆に言えば、それ以上は本人の哲学次第なのかもしれません。
だから日頃のおこないを良くしたり、釣り場のゴミを拾ったり、近くの神社でお参りをしたりして、釣りの神様が微笑んでくれることを願うのです。
ただし、せっかくかかった大きな魚をランディング出来るか否かには、釣り人の技術の差が出てくるところでありながら、そこにもまた運の要素が絡んできます。
そこがまた、釣りの面白いところでもあるのですが。
運。勘。根。
釣りの妙諦はこの三つにつきる。
開高健もそう述べていますからね。