朱鞠内湖で婚姻色のイトウを釣ること

イトウは在来の日本産サケ科魚類のなかでは唯一、春に産卵をおこなうことで知られている。

春の訪れがまだ先に感じられる北の大地で雪解けが始まる頃。

朱鞠内湖のイトウたちは生まれ育った流入河川の源流域へ遡上し、生命を繋ぐために自らの存在意義をかけた繁殖という一大事業に臨むのである。

そして雌とペアを形成して産卵に参加する成熟した雄は、体色が大きく変化する。

通常は黒い小斑点のある鶯色や緑褐色の背中に銀鱗が輝く姿をしており、体幹部に薄らと珊瑚色を帯びた体色を呈している。

だが、この時期には頭部周辺以外は尾鰭の先まで、まるでベニザケのように真紅に染まった壮麗な婚姻色を身に纏うのだ。

婚姻色は繁殖を終えるとともに徐々に退行していくが、5月の解禁直後では繁殖を終えて本湖に戻ってきた後も魚体に残存している個体が見受けられ、一見して雄だと判別することができる。

 

このような繁殖行動というのは、生物がその生涯で最もエネルギーコストをかける行為だ。

全ての生物は自身の遺伝子を受け継いだ子孫を後世に残すことが個体の最大の命題となるので、それは当然の帰結といえるのだろう。

一般に有性生殖の生物では雌のほうが卵子形成にコストがかかるうえ、産卵や妊娠・出産をおこなうため、個体への負荷が同種の雄よりも圧倒的に大きいと考えられている。

イトウの場合にも、雌は一度の繁殖期に複数回に分けて産卵し、その度に川底を掘り返して産卵床を造成しなければならない。

一方で、雄のイトウでも交尾相手の雌を巡って他の個体と争うことがある。

さらに雌と同様に水深が浅く流れも速い流入河川を遡上するため、確実に体力は奪われることになる。

したがって、繁殖期後のイトウは雌雄を問わずほぼ例外なく、ある程度は体力を消耗しているはずだと思う。

また、どうも繁殖で消耗したイトウは体力を回復するべく普段よりも積極的に捕食をするようになり、同時に僕には警戒心がやや薄れているような気がしてならないのだ。

その結果として、釣り人のルアーやフライにもかかりやすくなり、大した抵抗もせずにあっけなく釣られてしまうというわけである。

 

 

実際に、それを裏付けるようなエピソードがある。

僕の釣りの師匠であるFさんが、昨年の春に朱鞠内湖で95センチの赤黒いイトウを釣った時の話なのだ。

このときのイトウは逆らわずに素直に寄ってきて、ネットインするまでほとんど暴れなかった。

Fさん曰く「Gentle Monster(大人しい大物)」。

しかもその日の午前中にSさんという人が同じ場所の同じ切株を攻めて、全く同じ大きさのイトウを釣っていたそうだ。

そして両方のイトウを目にしたイトウ釣りの名手・Mさんによると、痩せた体型や右の胸鰭の裂け方がそっくりだったという。

僕は昨年Fさんからそのイトウの画像を送ってもらっている。

今年は幸運にもSさんと数日間釣りをご一緒する機会を得たため、彼の釣ったほうのイトウの写真も見た。

すると撮り方や画角が異なるため断定はできないものの、前述の胸鰭の裂け方に加えて婚姻色の程度もよく似ており、同一個体である可能性は十分にあるといった印象だった。

そしてSさんは「全然引かなかったな」とその物静かな印象にぴったりの、穏やかな声で語ってくれた。

やはり体力を回復するために餌を捕ろうと、半日のあいだに二度もルアーに喰らいついたのだろうか。

 

Fさんは過去に阿寒湖でも似たような経験をしている。

釣れたニジマスをリリースしようと口を開けさせたら、前日にラインブレイクして持っていかれたはずのフライが刺さっていて目を疑ったというのだ。

こちらはほぼ確実に同じ魚だったのだろう。

一度針にかかった魚は一週間は餌を捕らなくなる、なんて雄弁な言説を耳にしたことがあるものの、リリースされた魚はこんなふうに案外すぐに捕食行動を再開するものなのかもしれない。

 

 

そこで問題となるのが婚姻色が残った雄のイトウは非常に目立ち、サイトフィッシングで簡単に釣れてしまう場合があるということだ。

ここでは便宜上、婚姻色が残った雄のイトウを「婚姻色イトウ」と呼ぶことにしたい。

シャローエリアを遊弋していたりインレットに定位したりしている婚姻色イトウは、水に多少の濁りが入っていたところで、その目立つ体色によって容易に見つけることができてしまう。

しかもこの時期にイトウを狙う釣り人は、ベイトフィッシュであるワカサギの群れを探してシャローを攻めることが多い。

互いに探しているものが同じならば偶然出くわす確率も高くなる。

しかし体力を消耗したイトウにとっては、繁殖後の疲弊から回復するため少しでも餌を捕りたい時期に、釣り人の針にかかってしまうというのは大きな脅威であるといえる。

 

先日、三年ぶりに遠征した朱鞠内湖で僕は見事な婚姻色を呈した一匹のイトウを釣る幸運に恵まれた。

基本的に自然のなかでは釣り人側が釣る魚を選ぶことなどできはしないため、キャスティングをして偶然釣れた魚が繁殖後の雄のイトウだったというのであればそれは致し方ないことであろう。

だが今回は見えている魚を狙って釣ったのだ。

これはあくまで私観ではあるのだが、釣りをしている最中にこのような婚姻色イトウを発見したとして、それを狙って釣るような行為は、実はイトウに対して釣り人の想像以上にダメージを与えているのではないかと考えさせられてしまった。

 

そしてイトウは生涯で複数回の産卵をおこなう多回産卵魚である。

その生活史特性として毎年繁殖行動するわけではなく、周期は解明されていないものの、その頻度はどうやら数年に一回程度のようだ。

僕が学生時代に読んだ海外の論文では、北海に生息するタラの個体群で同じような報告がされており、個人的にこのような繁殖生態には興味が尽きない。

さて、先に述べた産卵期に繁殖活動に参加しない大型個体がいると仮定する。

するとその魚は春でも湖に留まってワカサギを貪食することができるため、非常に栄養状態の良い魚体に仕上がっていることが推測できるだろう。

 

これについては僕にも思い当たる経験があった。

過去に産卵期の直後である5月初旬の朱鞠内湖で釣った97センチのイトウは、まるで道北や道東の河川で釣られているような銀鱗輝く丸々と太った個体だったのだ。

このイトウは強めに締めたスピニングリールのドラグから猛烈な力でラインを引き出して抵抗した。

あと一歩のところで何度も走られてしまい、ランディングネットで取り込むまでに何分間も格闘したことが今でも鮮明に思い出せる。

明らかにその年の繁殖には参加していない抜群のコンディションのファイターだった。

朱鞠内湖でこんなにもタフな魚を相手にしたのは、これまでのところ後にも先にもこの一匹のみだ。

一方で思い返してみると、今回釣った婚姻色イトウは81センチという大きさのわりには拍子抜けするほどあっさりと、わずか三十秒足らずでネットに収まってしまったのであった。

今までに釣ってきた70センチ台のイトウのほうが、もっと激しく抵抗したのではないかとすら思えてしまう。

したがって同じ大型個体であっても、繁殖活動を終えたばかりの婚姻色イトウには、釣り人に対して満足に抵抗するだけの余力はあまり残っていないのだとは考えられないだろうか。

 

三年ぶりにイトウを釣ることができた喜びを嚙み締めつつ、彼が自分の意志で泳ぎだすまで両手で魚体を支えていた時間。

どことなく愛嬌のある顔つきをしたこの魚に対して、僕は何となく申し訳ないような気持ちが拭いきれなかった。

そんなにイトウを大切にしたいのならば、魚を針にかけて引きずり回すような残酷な行為など、さっさとやめてしまえばよいのだろうが、残念ながら釣りという趣味をやめることなど今のところはまったく考えられそうにない。

釣師というのはつくづく身勝手で罪深い生き物なのだと実感させられる。

 

僕は婚姻色のイトウを狙って釣るべきではない、などと言うつもりなんてない。全然ない。

厳しい状況の中でなんとか一匹を釣りたいという感情は大いに共感し、理解できる。

実際に今回の僕は明確な意思をもって狙って釣った。

しかしいざ釣ったのであれば、普段より丁寧かつ確実に、そして少しだけ手早くリリースしてあげてほしいとは願いたい

釣り人を魅了してやまない朱鞠内湖の巨大魚という存在は、多くの人の努力と自然という脆くて危うい均衡のなかで現在もかろうじて保たれているわけなのだから。

 

もしかすると僕はこの魚を釣るべきではなかったのかもしれない。

それならせめてもの気遣いとして、今度からは婚姻色のイトウを見つけてもなるべくそっとしておこうか。

 

夕暮れの中、その日最後の残光が美しい魚体をより一層紅く輝かせる。

遠くから徐々に近づいてくるエンジン音と迎えの渡船が迫っていることを告げるFさんの声を聞きながら、僕はゆっくりと泳ぎ去ってゆくイトウの背中を見送ってそんなことを考えていた。