もう何年も前のことになりますが、「人間をダメにするソファ」や「人をダメにするクッション」なる俗称の商品が、北海道の某家具メーカーや某無印系ファブリックブランドなどから発売されており、一時期は人気を博していたと思います。
一度座ると立ち上がれない快適性を謳ってそのように呼称されていたようですが、世の中には同様の快適性から「釣り人をダメにする椅子」というものも存在するようです。
ただしその正体は、何の変哲もないアウトドア用の折り畳み式チェアなのですが。
事の発端は数年前の朱鞠内湖まで遡ります。
釣りをしていたFさんが切株に腰かけて休憩をしている姿を見て、翌年にイトウ釣りの名手・Mさんがアウトドア用のフォールディングチェアを持ってきてあげたことでした。
朱鞠内でイトウが釣れないことに次いで、2番目に悩まされていた脚の疲労を解消する術を発見したFさんは、すっかりその快適さに魅了され、二年後には自宅近くのホームセンターで購入したプライベートブランドのキャンピングチェアを持参するようになったのです。
バングラディッシュ製とはいえ、その価格は僅か1000円。
今時こんな値段で買えるルアーはまず無いでしょう。
良い投資ができたとFさんは大変喜んでいました。
岩や倒木に直接座ることを避けられるので、ウェーダーの生地が傷むのを防ぐこともできるはずです。
私も主が釣りで居ぬ間に彼らのイスを拝借してみたことがありますが、なるほどそれはそれは快適なものでした。
その後、今春に私が三年ぶりに朱鞠内湖を訪れて彼らと再会してみると、Fさんだけでなく、なんと紋別の千里眼・Nさんまでが自分のイスを持参しているではありませんか。
普段であれば真っ先に釣りを始めるNさんですが、驚くべきことに今回はFさんと一緒になって、まずは地面を均し、イスをセッティングしています。
そしてMさんは、以前はFさんに貸していたフォールディングチェアを、今度は自分で使うようになっていました。
さらに三年ぶりに一緒に釣りをしてみると、過去の釣行よりも皆の休憩時間が顕著に長くなっていることに気づかされたのです。
今年のあまりの渋い状況に辟易したFさんは、三、四時間は座ったままで休憩していたとのこと。
MさんとNさんのペアは、今回も徒歩でポイントを移動するべく山林に分け入って往復二時間の強行軍こそ遂行していましたが、毎日の休憩時間がかなり延びた気がします。
以前は何時間も姿が見えなくなり、イトウを釣るまで帰ってこなかったようなMさんが定期的にベースキャンプに戻ってきては、イスに腰を下ろして煙草を何本もプカプカとふかしているような有様なのです。
一番奥のポイントまで往復して戻ってきた私が釣果を尋ねてみると、例のフォールディングチェアに体を沈めたままのMさんから返ってきた返答は、まさかの「昼飯食べてからずっと休憩してた」。
Fさんをして「the ultra diehard heavy duty pair(絶対にへこたれない不死身の二人)」と言わしめたMさんとNさんの二人までが、僅か千円前後のキャンピングチェアによってこれほど容易く篭絡されるとは。
釣り人をダメにする椅子の魔力は、侮れないのかもしれません。
賢明なる読者諸氏におかれましては、遠征先での貴重な釣りの時間をイスに奪われることがないよう、くれぐれも注意されたい。