やっぱりUGUI KILLER

今年最後となる阿寒湖への弾丸釣行を決行した。

我々の予想に反してその釣果は出来過ぎと言えるくらい満足のいくものであったが、僕は再びあの魚の猛攻を受けることになる。

昼下がりにニジマスのアタリがぱったりと途絶えた頃、彼らは突如として襲来したのだった。

 

僕のすぐ右隣で“ホンワカ”に挑戦していたFさんは、ラインの動きでアタリを取れるようになったと喜んだのも束の間、立て続けに数匹のウグイを釣りあげた。

少し離れたところで黙々と釣りを続けている元・阿寒湖のウグイキラーことMOさんもウグイを二、三匹は釣ったようだ。

一方で、僕はというとおよそ三十分の間で既に七、八匹のウグイと戯れさせていただいている。

「こっちに来るんじゃない。あいつのところへ行け。」

午後の陽射しを反射して煌めく湖面に向けてFさんは低い声でそんなことを囁いている。

この水の下にはすでに腹を空かせたウグイの大群が蠢いているのかもしれない。

もし彼らが聞き入れでもしたら、ますます僕のところにウグイが釣れてしまうじゃないか。

せっかく朱鞠内のウグイキラーを卒業したと思っていたのに、今度は二代目・阿寒湖のウグイキラーを襲名してしまいそうだ。まったく。

それにしてもいつも以上に全員の釣り方に違いはないし、同じポイントに密集しているのにこの有様は一体どういうことだろう。

おお、大いなる阿寒湖のカムイよ。何故なのですか。

ウグイは僕の吸っているナチュラルアメリカンスピリット・メンソールライトの残り香でも好むのだろうか。

そんな変わった生態の生き物は仲の良い女の子に一人いるくらいだが、それくらいしか理由が思いつかない。

 

フックを外すためにランディングネットに取り込むと、どうせ逃してもらえるのがわかっているかのようにウグイはおとなしくされるがままにしている。

かと思えば、リリースすると「待ってました」と言わんばかりに派手に水飛沫を散らせて、トラウト顔負けの颯爽さで泳ぎ去るのだから、やはり甚だ憎らしい。

雑に扱われても平気な顔で一陣の風のように湖へと帰っていく。

まったく君というヤツは多少の慎みというものを覚えてはどうだネ。モ少し紳士的でありたまえよ。

その日は一時間ほどで鯎嵐が去り、やがて何も釣れなくなった。

「ウグイのアタリさえなくなっちゃったなぁ。」

訪れた静寂の中でFさんがポツリと呟いた。

さっきまであれほど厄介者扱いをしていたのに釣師とは本当に我儘な生き物である。

やはりウグイという魚は釣師の心をそっと慰めてくれる優しい厄病神なのかもしれない。

 

ところで最近知ったのだが「日本ウグイ協会」なる組織がウグイの価値向上を目指して活動しているらしい。

世間の不遇な扱いからウグイを救いたい。外道から王道へ。などとなかなか高尚な理念を掲げている。

さらには会長や理事がいて、会則・規約まで定められているなど、立派なものである。

日本ウグイ協会 - ウグイを外道から王道へ。ウグイが好きになるWEBメディア

ウグイを外道から王道へ。ウグイが好きになるWEBメディア…

ウグイの社会的地位が向上すれば、少しはウグイキラーの面目も立つだろうか。

協会には是非ともご尽力いただきたいところだ。

 

さて、最後に話は変わるがウグイを表す漢字には、先述の「鯎」のほかに「石斑魚」や「鯏」というのもある。

(ただし鯏は二枚貝のアサリも意味する)

地方名や食文化に目を向けても非常に多様だ。

魚を表す表現が多彩であるということは、古来よりそれだけ人々の生活と密接に関わっていた証左ではなかろうか。

我々は今一度ウグイの存在価値について見直すべきかもしれない。

 

斯様にもっともらしい文化的考察の蘊蓄を並べたてつつ、ウグイキラーとしてせめてもの弁解とさせていただく次第である。