朱鞠内湖にはハッスル岬と呼ばれる場所がある。
個性的な掛け声をする格闘家がここで釣りをしたことから、その呼び名が付いたそうなのだが、この岬にはさらに“Fujita Stump”と呼ばれている(というよりは勝手に呼んでいる)ポイントがある。
“Stump”
すなわち切株であるのだが、何を隠そうこの“Fujita Stump”、呼び名の由来となったFさんが腰掛けながら釣りをして、立派なイトウを釣ってしまった代物なのである。
朱鞠内湖には、戦時中のダム建設期以前に伐採されたアカエゾマツの切株が無数に存在すれども、名前がつけられたものは滅多に例がないであろう。
二〇一八年の春、先刻までの冷たい風と雨により、午後の釣りにもお疲れだったFさんは、雨上がりのハッスル岬にて、手頃な大きさの切株に座ったまま、ルアーのキャストを繰り返していた。
投げていたのは、確かラパラのフローティングタイプのジョイントミノーだったと思う。
ランディングネットを吊り下げたその背中からは、もはや哀愁さえ伝わってくる。
かつて公私ともに世界中を飛び回り、ひと通りの釣りと悪戯をやってきたと豪語する勇姿は、一体どこへ影を潜めたのか。
そんな後ろ姿を私は写真に収めた。
暫くそんなことを続けていると、急に足元でイトウが尾鰭を見せて反転していったそうだ。
それも、一度だけではない。二度、三度、と繰り返し。
最初は不思議に思っていたが、どうやら濁りで見えてはいないものの、切株の根元にはワカサギの群れが居ついているようで、イトウはそれを追い込んで襲っているようだった。
そんなことを想像しながらルアーを巻いてくると、ピックアップの寸前、ジョイントミノーの前半身がまさに水面から持ち上がろうかという瞬間に、突如として大きなイトウが水面を割って姿を現し、ルアーに猛烈なアタックをしてきたのだ。
「わーっ」
少し離れて釣りをしていた私が目にしたときには、Fさんの竿は文字通り「つ」の字にひん曲がり、イトウと格闘していた。
ルアーのピックアップ時に喰ってきたため、ラインはロッドティップから二メートルも出ていない状態のようだ。
イトウは派手な水飛沫を上げて束の間暴れていたが、冷静沈着なMさんの声掛けもあり、無事ネットに収まることとなったのだった。
その場で一部始終を見ていた全員が、大爆笑である。
真面目に釣りをしていても報われないのに、こんな形で幸運を手にすることがままあるのだ。
釣りを続けていると、こんなことが普通に起こるのだから面白い。
ちなみに、Fさんが釣ったものを含めて、この時までに我々三人が釣っていたイトウの大きさは、奇しくも揃って七十八センチだった。
さらに言い加えると、Fさんは過去にも切株の上で釣りをしていて、針に掛かったサクラマスをイトウに喰いつかれた経験があるらしい。
きっと、日本でも数少ない、「スタンプフィッシング」なるもののエキスパートに違いない。
無論、もしもそんなものがあれば、の話だが。
その日、Fさん自身の命名で、ハッスル岬の名もなき切株が“Fujita Stump”という名を冠した。
おそらく、我々以外の釣り人には何の変哲もない、朱鞠内湖に数多ある切株の一つでしかないだろう。
しかし、偶然その切株を気に入って腰掛けたことをきっかけに、予想外の幸運を得たFさんにとっては、非常に思い出深く、愛着の湧くものとなったに違いない。
彼の自宅を訪れると、今でもその時に釣ったイトウの写真に添えて、例の切株に座って釣りをする自身の後姿が飾られているのだから。
ハッスル岬を訪れた際に、もしこの話を憶えていたら、いったいどの切株がこのドラマを生んだのか、ぜひ思いを巡らせてみてほしい。