Atlantic codから学んだイトウの繁殖生態

魚類の中には、シロザケのように一生に一回しか産卵しないものから、イトウやニジマスのように生涯で複数回産卵をするものもいます。

 

私は以前、成熟した魚類は、繁殖期には必ず産卵するものだと思っていました。

しかし、学生時代に「資源生物学」という授業で偶然手に取った論文*¹があり、そこにはとても興味深い「スキップ産卵」というものが書かれていたのです。

講義は教員から提示された最新の学術論文の中から一本を選び、内容を読み込んだうえで、それを自分の研究のようにプレゼンをするというものでした。

この授業では、関係する論文を複数読むなどして、自分の専門外の分野にも詳しくなり、大変勉強になりましたので、担当の先生はよく考えていたものだな、と今でも感服します。

さて、掲載雑誌の特性から、論文のほとんどは進化生態学に関するものであり、講義の受講生がそれぞれ一本を選んだのですが、私は水産資源分野に興味があったので、Atlantic cod(タイセイヨウダラ)の繁殖生態を扱ったものを選択したのでした。

それから時は経ち、数年前にイトウも毎年は産卵しないという情報を、どこかで見聞きした記憶があるのですが、このときの論文がきっかけで「なるほど、イトウもそうなのね。」とすんなり納得することができました。

 

硬骨魚類のスキップ産卵とは

スキップ産卵とは、タイセイヨウダラでは、成熟後に産卵できるにも関わらず、繁殖活動を行わない雌が一定数存在する*¹”というものでした。

具体的な例をあげると、3歳で成熟して産卵をした雌が、翌年の4歳の産卵期には繁殖に参加しないということです。

このような現象は、タイセイヨウダラでよく研究されてるのですが、実は硬骨魚類では淡水産・海産・遡河回遊魚などで30種類以上が知られているようです。

この研究は、水産資源学的意義と進化生態学的意義の両方を含み、水産資源学において生態学的視点を取り入れた研究例として、当時の私には非常に興味深かったです。

 

イトウは毎年産卵しないのか

イトウが毎年産卵しないという情報は、どこで目にしたのか忘れてしまったのですが、インターネット上では同様の記載が散見されたものの、信頼のできる文献は見つけることができませんでした。

しかし、毎年とは限らないが何回も産卵を繰り返す*²”と記載している本はありました。

また、ある論文では“産卵のための河川遡上は数年に1回と推測される*³”とされています。

数年に1回しか産卵しないとは述べてはいないものの、イトウの河川遡上は産卵行動のためのものですから、ほぼ同義と考えて問題はないでしょう。

イトウのような大型の魚類は、一般に成長が遅く成熟年齢も高いことから、一度個体数が減少すると回復には時間を要することが知られています。

もし、前年に産卵した雌が翌年には産卵しないとすると、この傾向により一層拍車がかかるかもしれません。

“イトウの雌の成熟年齢は6~8歳*⁴”とされ、その寿命は20年ともいわれますが、産卵頻度が2年に1度なら一生に6~7回、3年に1度なら4~5回程度しか産卵しないことになりますから。

 

また、魚類の繁殖生態を詳しく解明するには、精巣や卵巣といった生殖腺の組織学的観察が必要不可欠です。

しかし、それには個体の殺傷が生じますので、イトウのような絶滅危惧種の生活史研究では難しい側面もあります。

 

さらに、イトウは産卵のため河川の最上流部まで長距離を遡上するため、繁殖活動にかけるエネルギーのコストが高いともいえるでしょう。

偶然ではありますが、イトウとタイセイヨウダラの雌の成熟サイズは同じ60センチ程度でした。

特に成熟したばかりの小型個体では、大型個体よりも回遊や産卵のリスクが大きく、イトウもタイセイヨウダラと似たような適応戦略をとっているとしても不思議ではないと思います。

 

知識や経験は意外なところで役に立つ

この論文とイトウの繁殖特性について、科学的に直接つながりがある訳ではありませんが、スキップ産卵をする魚がいるということ事前に知っていたおかげで、イトウの繁殖特性を知ったときもスムーズに受け入れることができました。

釣りにおいても、全く違うジャンルの釣りでの経験が、ルアーフィッシングで役に立つことも往々にしてあるのですから、何事にも関心をもっておきたいものですね。

引用文献

井田 齊・奥山文弥(2017):改訂新版 サケマス・イワナのわかる本,pp.156-157.山と渓流社.
北海道総合研究開発機構さけます・内水面試験場(2013):漁業権設定湖沼におけるイトウ資源の利用と維持に関する研究.「平成24年度道総研さけます・内水面水産試験場事業報告書,71-73.
*⁴ 川村洋司(1989):イトウ,山渓カラー名鑑・日本の淡水魚(川那部浩哉・水野信彦編),pp. 93-99.山と渓谷社.