Mink,Minsk,Sakhalinsk

釣りをしていると、思いもかけない出会いをすることがある。

無論、それは人だけではない。

これは、阿寒湖の大島で野生のミンクと遭遇したときの話だ。

ところで、ミンクってどうしてミンクというんだろう。

そんなことを考えながら当時のことを思い返していると、東欧にある共和国の首都の名が、泡沫のように突拍子もなく頭に浮かんで消えた。

 

二〇十九年の秋。

阿寒湖の大島には、これまでも何度か訪れている。

その日はFさんと二人きりの釣行となったが、地元在住のアングラー・MOさんから、前日に余った生のワカサギを譲り受けていたのだった。

今やすっかり阿寒湖の風物詩ともなった、ドライワカサギを使うフライフィッシャー達によるチャミングを目にして、ルアーフィッシャーの我々も試してみようという魂胆である。

 

思惑通りニジマスの果敢な跳躍と強烈な引きをひとしきり楽しんだ午後のこと。

ふと気配を感じて右手の湖岸に目をやると、湖の後背林から何やら真っ黒な小動物が這い出して来た。

 

「何か動物がいますよ。イタチですかね。」

「ああ、あれはミンクだよ」

 

何年も前から阿寒湖を訪れているFさんは、これまでにも遭遇したことがあるようだった。

 

ミンクは北米原産のイタチ科の動物であり、昭和の世が明けて間もない頃に、毛皮採取が目的で北海道に持ち込まれたのだという。

以来、道内各地に数百か所の養殖場が造られたものの、現存はしていない。

しかし、養殖場が閉鎖されても、逃げ出した個体が野生化し、いまでは阿寒湖周辺にも多数生息しているということだ。

宗谷海峡から海を隔てた向こう側、かつて「樺太」だった大きな島を拓いた先人達も、もしかすると北海道で生産されたその毛皮を重宝したのかもしれない。

そう考えると少しロマンがあるが、つまるところ典型的な外来種である。

 

この島に住み着いているのか、それとも本土から泳いで渡って来たのだろうか。

ミンクはしばらく鼻をヒクつかせながら、周辺を彷徨いた後、我々のいる場所とは反対に向かって遠ざかっていく。

ところが、汀にて足を止めたミンクは、突如としてスーッと湖へ入水したのであった。

どうやら、湖岸近くに打ち寄せられたワカサギを見つけたようだ。

泳いでる姿を見るのは初めてだったが、その遊泳力は素晴らしく、さながらカワウソの様だった。

ツヤツヤと黒く輝く毛並みが、水滴を綺麗に弾いている。

 

そのまま見守っていると、さらに驚くべきことが起こった。

毎日のように訪れる釣り人の姿を見慣れているのか、まだ若い個体で人間を恐れていないのか、ミンクは泳ぐ姿を眺めている僕たちに徐々に近づいてくる。

そしてなんと、Fさんの脚の間をくぐり抜けたかと思うと、膝を屈めて見ていた僕に近寄り、ウェーダーの膝あたりに鼻をすり寄せてきたのだ。

「ゼロ距離」というのは、こういう状況のことをいうのだろう。

こんなにも積極的に人間に近付いてくる野生動物は、他に公園の老人から餌を与えられるドバトくらいしか思いつかない。

野生動物を餌付けするような行為は好ましくないと思うが、しかしここは彼(もしくは彼女)の好きなように任せるのが良かろう。

 

「なんだよこれ。ここまで怖がらなくていいものなの。」

「これ自分で食べていくだろ、そこにあるやつ。」

 

Fさんが思わず呟いた。

ミンクはチャミング用のワカサギが入った袋に素早く頭を突っ込むと、口いっぱいに咥えて湖畔の茂みの中へ姿を消した。

しかし、間もなく別の茂みから再び現れ、同じようにワカサギを攫っていく。

思ったよりも大胆で、そして図々しいようだ。

よくよく観察していると、何度か同じ場所を行き来してワカサギを隠したのち、今度は別の隠し場所に運び込んでいるようだった。

再度茂みから顔を出したミンクは、必死に笑いを堪えて写真を撮影していたFさんと目が合った。

すると、サッと首を引っ込めたかと思うと、少し距離を取ってまた姿を見せる。

そんなことを幾度も繰り返し、散々ワカサギを収奪して満足したのか、やがてミンクは立ち去って行った。

雄阿寒岳

 

実は翌年の秋にも、同じ場所で同じように姿を現し、またしても多量のワカサギを持ち去って行ったから、あのミンクはほぼ定住しているとみて間違いないだろう。

その年のMOさんは、贅沢なことに食用の上等なワカサギをチャミングに使っていたので、ミンクも相当美味しい思いをしたに違いない。

計らずも、予想外の嬉しい再会となった。

しかし、一匹だけで寂しくはないのだろうか。

そして、釣り人のいない冬の間はどう過ごしているのだろう。

 

残念なことに、僕はいま悠長に北海道での釣りを楽しむことができる状況には置かれていない。

おそらく、この秋の再訪は叶わないであろう。

しかし、どうか元気で過ごして居てほしい。

再び阿寒湖の大島で釣りをする日、もしかしたらまた君に逢えるのではないかと、淡い期待を抱くのだと思う。

例え生態系に悪影響を与える外来種だとしても、すっかり愛着が湧いてしまった。

黒き小さき友よ、願わくば三度の再会を。